再開英会話7回目。6月8日(金)
本文2回目。3つのcontentsから成る「Kokoro」は、各コンテンツがうまい具合に1.5~2ページのかたまりに区切られている。私が受けているレッスンは、毎回、このかたまりを1つ音読して、アーロン先生が「ちゃんと分かってんのかな?」とピンポイントをついた質問を投げかける。(p3~5)
この日は、鎌倉の海へ泳ぎに行った“私”が、初めて“先生”に目を留めた場面。芋の子を洗うような(←って言いますよね? でも、芋の子って洗ったことないよ~)混んでいる海水浴場で、「なんで彼は“先生”に気づいたんや?」とアーロン先生。
「ナゼナラ、アノ~、エ~~、“先生”ハ、ウ~ン、肌ノ色ガ白イ西洋人ト、エットォ、一緒ニイタカラデス」と私。
もちろん予習し、分からない単語は辞書を引いて下調べしてきているのに、なんでもっとスラスラといかへんねん。自分にダメ出し。
●本日の収穫
予習をしてきたけど、分からないところがあった。何度も読んで感じは分かるけど、なんでこうなってるん?という文章。
I was in a relaxed frame of mind, and there was such a crowd on the beach that I should never have noticed him had he not been accompanied by a Westerner.
(私はリラックスした気分でいたし、砂浜がそれほど混んでいたので、もし先生が西洋人と一緒でなかったら気づかなかったかもしれない)
この中の「had he not been accompanied by a Westerner」の had he がわからなかったのだ。
「先生、これって意味は何となく分かるのですが、なんで had he というヘンな順番になるんですか?」と私。
「もっと普通に言うたら、If he had not been accompanied by a Westerner, I would never have noticed him やね。
それに比べたら、had heとか、shouldとかは格式張った古風な表現やねん。
では、なんで翻訳者はそんな表現を使ったんやろ? それは漱石のこの文が明治時代に書かれたもので、翻訳者はそんな時代の気分を大事にしたからや」
アーロン先生の説明にナットク。
(注)アーロン先生はきちんとした標準語で話されます。
機会があれば、この箇所、本屋さんで立ち読みしてみてください。漱石の原文と翻訳者の英文、それぞれに「ああ、深い」とシビレます。See you !