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国産べにふうき紅茶・村松二六さん(静岡県丸子2005.8月)

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国産べにふうき紅茶をつくった村松二六さん

べにふうきの茶畑で語る村松二六さん

日本一の茶どころ静岡県の丸子は、『東海道中膝栗毛』で弥次さん、喜多さんが名物のとろろ汁を食べた宿場町。明治になって徳川家より払い下げられた山林を茶畑にして、茶の栽培と製茶技術の向上に情熱を傾けた人、多田元吉は、明治政府の命を受けて中国やインドの茶畑を訪ね歩く大調査旅行へ。資源も産業も乏しい日本の製茶技術を活かして国産紅茶を輸出商品に育てよう。明治政府のもくろみの後押しで、数々の困難の末に実を結んだ国産紅茶。しかし、インドの大規模な茶園と地の利には太刀打ちできず、夢は見果てぬまま忘れ去られていった。

平成になって夢がつながった

その元吉が眠る寺の境内や、元吉が植えた茶樹のそばで遊んで育った少年が、やがて55歳のときに偶然、元吉ゆかりの紅茶用茶樹に出会った。元吉がインドから持ち帰ったアッサム種の種子が根付き、それを母に、ダージリン系の樹を父に、品種改良から生まれたものの、12年間誰も作り手がないまま農業試験所に残されていた「べにふうき」であった。この、まだ誰も育てたことのない「べにふうき」を育て、国産の紅茶を作ろう。それが村松二六さんであった。

「べにふうき」を国産紅茶の名品に

村松さんの努力と根気で丸子にしっかりと根付いた「べにふうき」には、従来の日本のお茶にはないメチル化カテキンという強力な抗アレルギー成分が含まれていることがわかった。緑茶にするとその効能が生きるのだが、紅茶にすると発酵の過程で変化する。効能が失われる代わりに、花のような深みのある香りや豊かな旨味、爽やかに広がる渋みといった醍醐味のある紅茶に生まれ変わる。
村松さんのすごいところは、茶樹の育て方から紅茶に仕上げるまでのプロセスを全国から訪ね来る同業者に、すべて惜しげもなく公開するところだ。後進へ誠心誠意アドバイスして、共に国産紅茶を伸ばしていこうとする姿勢が気持ちいい。
村松さんは何十年も通って学んだ無農薬有機農法で茶樹を育てる。知恵をしぼり手間をかけて安全でおいしいものを作る。そこにこそ農業者の喜びと誇りがあるのだ、と教わった。

●清水へ寄って次郎長の生家を訪ねた。明治維新後は職を失った元武士たちのために富士の裾野を開墾したり、英語塾を開設したりして地元の発展に尽くしたのだそう。任侠!

丸子紅茶 静岡市駿河区丸子

■スタッフ:写真/谷内寿隆[office tag]・デザイン/岸本郁夫[元ガラモンド・現ラッシュ・デザインオフィス]

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